【第1弾】在日米軍問題解説! 〜普天間基地問題をわかりやすく解説!
長年、日本の課題とされている「在日米軍問題」。
ニュースでも「普天間基地移設問題」や「思いやり予算」のことが盛んに議論されています。
そこで今回は、そんな在日米軍関連の問題を解説致します!
まず、第一弾となる今回は「普天間基地移設問題」を解説致します!
在日米軍の基本情報や、「沖縄への米軍基地集中」、米軍兵士を逮捕できないなどのルールである「日米地位協定」に関しては、「在日米軍と日米地位協定」の記事で解説しております!ご参照ください!
それでは早速、レッツビギン!
目次
普天間基地移設問題の概要
何が問題?
普天間基地移設問題を簡単に説明すると、
「普天間(ふてんま)にある米軍基地を、名護市の辺野古(へのこ)に移転させるかどうかを揉めている」
という問題です。
地図で見ると、こんな感じ!
普天間飛行場は、アメリカ軍の海兵隊という部隊の基地で、それを同じ海兵隊の基地(キャンプ・シュワブ)がある、名護市の辺野古に移転しよう、という話です。
誰が揉めているの?
揉めているのは、国民です。
ただ、反対派と賛成派の国民が直接揉めているのではなく、国民の代表者で、行政機関である「国(政府)」と「沖縄県(知事)」と「名護市(市長)」で揉めています。
この「政府・知事・市長」の3者が同時に納得しないので、辺野古移設の話が出始めた1997年から、なんと約20年間も揉めに揉め続けているのです!
では、なぜこんなにも揉めているのでしょうか?
まずは、辺野古移設に「賛成派」と「反対派」の主要意見を見ていきましょう!
賛成派と反対派の意見
主な意見をまとめるとこんな感じ!
賛成派の意見
普天間を早く移転して!
普天間基地って、住宅街のど真ん中にあるが故に、世界一危険な空港と言われております。
厳密に言うと「住宅街の真ん中に飛行場を作った」ではなく、「飛行場の周りに住宅街を作った」が正しいです。
2004年には、普天間基地のすぐ近くに沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する、という事件も起こっています。
こうしたことから、「普天間から一刻も早く、飛行場を撤去して!」という声が多数あります。
辺野古にお金と仕事を!
米軍関連施設ができると、その街の米軍兵士がお金を使ってくれる為、街の経済が発達します。
また、米軍基地で働く人も必要になるので、雇用も上がるでしょう。
そして何より、政府からの米軍基地関連の手当てが住民や名護市に入ります。
ですので、基地が出来れば財政的にも潤うのです。
国防の為に基地は必要!
近年は、中国が東シナ海の覇権を取る気満々で、他国にケンカを売りまくっています。
領土問題となっている尖閣諸島も、中国の東シナ海進出関連の問題ですね。
なので、このような中国の姿勢に対抗する為にも、沖縄に「日本を守ってもらう為の米軍基地は必要だ!」という意見ですね。
また、アメリカ側も、ロシアや中国に好き勝手させないように、沖縄に基地は必要だ、と考えております。
反対派の意見
普天間から出て行かないで!
上記で「米軍基地があれば、街は潤う」お話をしました。
それは、今基地がある普天間でも同様です。
なので、今現在普天間で基地の恩恵を受けている人は、移転に反対しています。
沖縄に基地多すぎ!
沖縄には在日米軍基地の約70%が集中しています。
なので、「他県に移転しろや!」という反対意見ですね。
ただ、普天間基地は、在日米軍で最も多い海兵隊が使用する為の空港なので、県外に移転となれば、海兵隊丸ごと移転しないといけません。
そうなってくるとまた大きな問題になってくるので、この反対意見は現時点で通っていません。
辺野古の基地は環境破壊!
現在の辺野古の基地を作る案は、海を埋め立てて、飛行場を作る案です。
なので、海を埋め立てることは、サンゴ礁などの美しい環境を破壊する行為だ!と、大きな反対の声が上がっています。
また、辺野古周辺でたまに見られる、絶滅危惧種のジュゴンも、埋め立てちゃうといなくなっちゃう!と言われております。
県民の声を無視するな!
沖縄県民や名護市民の多くは、基地移設を反対していると言われております。
実際に、1997年に行われた名護市民投票では、反対多数の結果になっています。
それなのに、結果を無視するどころか、住民投票も再度行おうとしない行政に対して、県民や市民は「無視するな!」を大きな声をあげています。
普天間基地移設問題の経緯
そんなこんなでこの普天間基地移設問題、1995年頃から移設に対する要望が大きくなり、1997年には移設先候補が辺野古となりました。
こう考えると、なんと20年間も揉めているのですね!20年間。
今も、国と県が互いに訴え合ったり・・・と非常に泥沼化しています。
では、なぜこんなにも泥沼化したのでしょうか?
この問題を時系列に沿っって見ていきましょう!
全体像としてはこんな感じです!
これを、6段階のステージに分けて見ていきましょう!
また、事前情報として、
- 自民党・公明党は、辺野古移転に賛成
- 社民党・共産党は反対
- 民主党(民進党)は、はじめ反対だったが、後に賛成に回る
ということを知っていれば、よりスムーズに理解ができます!
また、この問題もポイントとなる「民意(国・県・市)の一致」にもポイントを置いて見ていきますね!
ステージ1:普天間から辺野古へ
普天間基地をなくせ!
まず1995年に沖縄の米軍兵士3人が12歳の少女をレイプする事件が起こりました。
これによって、沖縄県で「米軍基地をなくせ!」という運動が盛んになり、その中でも「世界一危険な基地」とされる普天間基地をなくそう!となります。
その翌年の1996年には、日米で「普天間基地をなくす」ことに合意します。
で、その後「普天間基地をどこに移転するか」という点で様々な検証をした結果「沖縄の辺野古がいいんじゃね?」となります。
名護市民の住民投票
1997年12月に、辺野古がある名護市の市民投票を行うと、「辺野古移設反対」が約53%となり、反対が過半数を占めます。これによって、大田県知事も「辺野古移転」を支持します。
しかし、当時の名護市の比嘉市長は「それでも国のため、沖縄県の為に辺野古移転を受け入れるべきだ!」と受け入れを承認しますが、市民投票の結果を踏みにじってしまったということで市長を辞任します。
そしてその後に選ばれた岸本新市長は「県知事に従う」といった為、反対派の大田知事とともに反対の立場になります。
ということで、ステージ1では、
このような結果となりました。
ステージ2:基地は辺野古に決定!(ただし条件付き)
条件付の、辺野古移転賛成
1998年11月に、反対派の大田知事に変わって、自民党・公明党が支援する稲嶺恵一県知事が誕生すると、稲嶺県知事は「辺野古の基地稼働は15年間だけ」と「民間も使えるような飛行場に」という条件付きで、辺野古移設に賛成します。
↑稲嶺知事
岸本市長は「県知事にまかせる」スタンスなので、賛成に回ります。
そして、99年11月には、国・県知事・市長の三者が「条件付き」の辺野古移転で合意します。
ステージ3:現行案が完成!
普天間基地の早期移転を
1999年に国・県・市が条件付きで合意し、作業は進行していきますが、肝心の建設方法がなかなか決まらず、作業は捗りませんでした。
そんな中、2004年には普天間基地のすぐ側の沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する事件が起こり、これがきっかけに「普天間基地の早期移転運動」が活発になります。
政府案の変更と現行案の完成
そして、翌2005年には日米の政府が、辺野古の基地移設の変更案を発表します。
で、この案が、稲嶺恵一知事が望む「民間も利用できる」という条件をクリアできていませんでした。
なので、稲嶺県知事と岸本市長は、一転して「反対」の対場に回ります。
しかし、2006年5月には、日米が「最終的な、辺野古の基地の形」に合意します(日米ロードマップ)。これが、2016年時点での「現行案」です。
でも、この案は引き続き稲嶺県知事の「条件」をクリアしてないので、稲嶺知事は反対の姿勢を崩しません!
国・県・市の合意
しかし、2006年11月に稲嶺知事の任期が終わると、自民・公明が推薦する仲井眞(なかいま)新県知事が誕生します。
この仲井眞新知事と、2006年1月に誕生した島袋新市長はともに自民・公明側の人なので、2人とも政府の案を受け入れました。
と、なんだかんだありましたが、2006年11月に初めて「国・県・市」の意見が完全に一致したのです。
これにより、「辺野古へ移転」は着実に進行する、と思われました。
ステージ4:最低でも県外に。
鳩山さんのどんでん返し
2006年の「国・県・市の合意」によって着々と進められていた「辺野古へ移転」が、2009年に180度方向転換します。
それは、2009年に政権交代によって誕生した鳩山新総理が、「辺野古中止!てか基地は沖縄県外に移転する!」と言ったのです。まさにどんでん返し!
当時の仲井眞知事としても、辺野古移設は承認していたものの、国が「県外移設」を進めるのは、沖縄代表としては願ったり叶ったりです。鳩山政権の「県外移転」を歓迎します。
そして、翌2010年には、民主・社民・共産が推薦する稲嶺進さんが名護市新市長になったことで、2006年とは一転し、「国・県・市」が「辺野古移設反対」で揃うことになるのです。
「稲嶺恵一」と「稲嶺進」
このお二人、めちゃくちゃややこしいので注意しましょう!
稲嶺恵一さんは、沖縄県知事です。辺野古移設を「条件付き」で賛成していました。
一方の稲嶺進さんは、名護市長です。辺野古移設は「絶対反対」の立場にいます。
鳩山さんのどんでん返し Part2
しかし、そうは問屋に降ろさせないのが鳩山総理でした。
県外移設という「どんでん返し」を、アメリカは許しませんでした。
で、鳩山内閣もアメリカに丸めこまれ、1年も経たず「やっぱり辺野古で」と、2回目のどんでん返しで、元に戻しちゃったのです。
で、鳩山さんはこのゴタゴタの責任を取りもどすために辞任をしましたが、民主党は国民の信頼を取りもどすことが出来ませんでした。
その結果、2012年には「辺野古移転」を大プッシュする自民党に政権が戻ります。
ステージ5:やっぱ辺野古に決定!
安倍内閣の誕生と仲井眞知事の「承認」
2012年に自民党が民主党から政権を取り返し、第二次安倍内閣が誕生します。
自民党は、かねてからの「辺野古移転」を主張し、一度は「県外移設」に心が傾いた仲井眞知事を説得し、仲井眞知事も再度「辺野古移転」に賛成します。
稲嶺市長は引き続き反対の立場にいますが、政府と県知事は稲嶺市長を無視します。
そして国は「基地移転の為の辺野古の埋め立て」を仲井眞知事に「承認」してもらい、工事も新たに再開されました。
ステージ6:泥沼化突入!
翁長新知事の「どんでん返し」
しかし、本当の泥沼化はここからでした。
辺野古移転の工事も着々と進行する中、2014年11月には、社民・共産等が推薦する、辺野古移設ゴリゴリ反対派の翁長(おなが)さんが、仲井眞さんにかわって新県知事になります。
そこで翁長知事、思い切った行動にでます。
なんと「前の知事の仲井眞さんは、辺野古の埋め立て承認したけど、そんなこと俺が許さん!」と言ったのですね。無理矢理、辺野古移設を止めちゃったのです。
これが2015年10月のお話。
ついには裁判沙汰に
それに国はガチギレしました。
翌月の11月には、国は翁長知事を「あいつ、一回決まったことを自分の権力でひっくり返そうとしてるねんけど。あいつのせいで国の政治が混乱するやんけ!」と訴えちゃうんです。裁判です。
で、翁長知事も黙ってません!
「はあ?何ナメたことゆうとんねん!国こそ権力まかせで政治しとるやんけ!地方の意見無視しとんのお前やんけ!」と、逆に県が国を訴えました。(2015年の12月、2016年の2月と、2回訴えました。)
ということで、「国 vs 県」の裁判が始まったのですね。しかもなんと裁判3本立てです。
昼ドラも真っ青の泥沼具合です。
で、さすがにこの泥沼具合はよろしくないということで、2016年3月には、国と県が一旦仲直り(和解)します。で、両者とも訴えを取り下げました。国も県の意見を考慮し、辺野古の工事は一旦中止しました。
沖縄県の敗訴
両者歩み寄りの和解で一旦落ち着いたと見せかけてからの、2016年7月再度国は県を訴えます!笑
内容は「仲井眞さんが、辺野古埋め立て承認してんから、今さら翁長さんの権限で、その承認を撤回できないよね?」という内容です。
で、2016年9月には判決が出ました。
結果として、国が勝ちました。そして、11月から工事も一部再開しました。
しかし、翁長知事は納得しておりません。上告をしたので、裁判はまだ続きます。
※2017年1月22日追記
2016年12月の最高裁で、国側の勝訴(翁長知事の敗訴)が確定しました。
それにより、辺野古の工事も再開されました。
今後の展開
という、なんとも泥沼化しているこの「普天間基地移設問題」。
今後の動向としては、「翁長知事が裁判で負けたものの、抵抗を続ける」と言っているので、どのような策で工事を食い止めにくるのか、という部分に注目が注がれています。
しかしまあ、よくこれだけ揉めていますよね。
個人的な意見としては、「国民の代表」である「政府」「県知事」「市長」に任せていてはこのように埒が明かないので、市民投票なり県民投票なり国民投票なりで「直接的に」国民の意見を聞いたらいいのに!と思うのですが、その辺はどうなっているのでしょうか?
ということで、長くなりましたが今回はここまでにします!
この、普天間基地移設問題は、今後も動きがありましたらどんどん情報追加していきます!
それではまた別記事でお会いしましょう!
チャオ!